幾原邦彦監督&吾妻サラ役・帝子さんスペシャルインタビュー!③
『さらざんまい』の魅力に迫る
フジテレビ“ノイタミナ”にて毎週木曜24:55から放送中のオリジナルTVアニメ『さらざんまい』
幾原監督と物語のカギを握るキャラクター・吾妻サラ役の帝子さんがSuperGroupiesに降臨!
これからいよいよ佳境に入る『さらざんまい』の魅力や見どころはもちろんのこと、ネタバレになるかもしれない物語の根幹にかかわる裏話などを幾原監督と帝子さんにたっぷりと語っていただきました。
「つながる」ということは日常的になっている
── 2019年4月11日から放送されている『さらざんまい』。妖怪あるいはSFモノ、3人の少年たちの成長物語、それともヒューマンドラマ。いろいろな評価がありますが……。
大人でも楽しめる妖怪ものですかね。でも、カッパという妖怪が登場しますけど、実際にはちょっと違う。いまはまだ物語が進行中なので言えないこともいっぱいありますが、「攻めた娯楽作」と受けとめてください(笑)
── 大人でも楽しめるアニメであり、観た人の胸になにかを訴える作品?
そうですね。心のどこかになにかを感じてもらえればなと思っています。でもなあ、そういうこと言うと、いつも意識が高いって揶揄されますから(笑)今回は、純粋な「攻めた娯楽作品」ということにしておきましょう(笑)
── 『さらざんまい』の舞台は東京の下町・浅草。たしかに物語と浅草という町の情景がマッチしているように思えますが、どうして浅草だったんでしょうか?
もともとはカッパが先だったんです。カッパが登場する作品を企画していた時期、最初は地方のどこかを舞台にするつもりでした。カッパが登場しても違和感のないような場所はないものかと、日本中を探してたんです。
── 最初は東京を舞台には考えていなかった?
考えてませんでしたね。カッパといえばローカル、地方だろうと(笑)でも、一応は東京を調べてみるかということになって、そしたら一番最初に出てきたのが浅草の合羽橋だったんです。それで浅草や合羽橋を調べれば調べるほど、「もしかしたら、東京が舞台なんじゃないか?」と思えてきたんですよ。
で、一度行ってみたら、浅草の風景を見て直感的にここしかないと確信しました。
── その直感的な確信とは、具体的にどんなところだったんでしょうか?
古い町並みと新しい町並みが混在している。その雰囲気に惹かれましたね。浅草は観光地として有名だけど、そこには日常的に生活している普通の人たちが住んでいるわけです。観光地としての浅草ではなく、そこに住み暮らしている人たちの風景を切り取ってみるのもおもしろい。
ご存知のように浅草は歴史のある古い町ではありますが、そこからは東京スカイツリーに代表されるモダンな風景を見ることができますよね。
── ディープな東京の下町といったところでしょうか。
そうですね、深すぎたかもしれませんが(笑)当初の予定どおり、ローカルでやってもよかったんですが、日常的に行ける場所のほうがなおいいかな、と。自分たちの生活の延長線上にある風景になにかがある。それがすごくいいと思いましたね。
── 古くてモダン、そんな浅草にカッパ登場。カッパが先だったとのことですが、そもそもどうしてカッパ?
作品のコンセプトとしては、「命の話」をやりたかったんです。
── カッパと命の話?
みなさん、妖怪ってなんだと思いますか?生者と死者の間にいる生き物が、妖怪といわれるものなんじゃないかと思ったんです。命の話をするとき、生者と死者の間にいる何者かが、なにかをぼくたちに語りかけてくる。それはそれでおもしろいですし、そこに長い歴史を感じることができれば、なおのこといい。
── 妖怪であるカッパと歴史ある町である浅草。物語のキーワードに「つながる」がありますが、幾原監督の中でさまざまな断片がつながったわけですね。その「つながる」が意味することについて教えてください。
いまの現代に照らし合わせると、「つながる」ということは日常的になっていると思うんです。昨今のインターネットやAIはその代表的なものですね。SNSなんかによって、みんなの気持ちが日常的につながっている。でも、その日常的なつながりが、これからのぼくたちをどう変えてしまうんだろうか?つながり続けることによって、ぼくたちの感性がどんなふうになるのかをやってみたかったんです。
それともうひとつ。ちょうど元号が変わり、古いものから新しいものに移行するはざまにあります。「つながる」を通して、移り変わる意味のようなものも盛り込みたいと思いました。
セリフや「言葉」に注目!
── さて、いよいよ『さらざんまい』の魅力ついてうかがいたいところですが、放送開始からすでに何本もの伏線が張りめぐらされているような……。
そこはいろいろと仕込んでますからね(笑)何回か観れば観るほど、気づくつくりにはなっています。
── その仕込みが、中盤から後半のクライマックスへとつながっていく?
そうですね。すでに前半は放映されていますが、さらに衝撃の展開が続くはずです(笑)
── そこで重要な役割を果たすのが、吾妻サラだと思うんですが、いかがでしょうか?
そうですね。ご期待ください(笑)
── では、吾妻サラ役の帝子さん、いかがでしょうか?
サラちゃんは、浅草のローカル番組「アサクササラテレビ」のMCを務めるご当地アイドルなんです。ご当地アイドルではあるんですが、どこか読めない部分がある(笑)
ご当地アイドルという仕事は生きていくためにやってるんですが……さっき幾原監督がおっしゃられたように、衝撃の展開が最終話までずーっと続くんです。もちろん、サラちゃんが何者であるかもです(笑)
そうですね。びっくりするような展開が続きます。でも、あんまり「びっくり、びっくり」とか言ってると、バイアスかかっちゃうからやめとこうか(笑)
それはないと思いますよ。だって、びっくりしますよと言われてても、キャストみんなもずっとびっくりしてましたから(笑)
── それだけ衝撃の展開が続くわけですね? その中でもサラちゃんの役割は重要かと。なんといっても、タイトルが『さらざんまい』ですから……。
いまのところは、キービジュアルでもさりげなく出ているだけですし、劇中でも電光掲示板やモニターに登場するといった役どころですね(笑)
── もう少し深く突っ込んだサラちゃん像をお聞きしたいのですが。
えーとですねえ……人間がこの世の者だとすると、カッパとか妖怪、魑魅魍魎たちはあちらの世界の者なわけです。吾妻サラというのは、その間にいるキャラクター。人間と妖怪たちの間に立って、いろいろとやりとりする役割なんです。つまり、人と妖怪をつないでいる存在ですね。
えーっ、そこまで話していいんですか!?
まあまあ(笑)最終回ですべてが明かされますが、その前に第7話でサラのどうでもいい情報が明らかになるわけだから(笑)
ひっどーい!(笑)
── その、どうでもいい情報とは?
カッパ型生命体である“ケッピ”とサラの関係性といったところです。
── 意味深な感じですね。
まあ、サラの役どころを一言でいえば、妖怪たちの広報キャラのような感じですね。
── 『さらざんまい』の主人公は、中学2年生の矢逆一稀、久慈悠、陣内燕太の3人の少年たち。彼らと直接的、間接的にサラちゃんは絡んでいくわけですか?
うーん、どこまでお話していいのか(笑)一稀、悠、燕太はケッピにカッパにされて、いろんな試練や冒険を乗り越えていくわけです。そうそう、サラちゃんは占いをやるんです! 少年たちに占いで毎回ヒントをあげているんですよ。
── サラちゃんは、一稀たちの冒険を見守る役というか……。
そうですね。助言もしてあげてます。
そういえば、そうだね。一稀たちにメッセージを与えてたのはサラだったか(笑)
結構がんばってるんですよ、サラちゃん!(笑)
だけど、直接的ではなく、現代のデバイスを使ってサラは霊力を送っているようにも見える。そこもポイントかな。
── また意味深なお言葉ですが、それはどういうことでしょうか?
昔は霊力を使えるのは妖怪だけでしたが、現代では人間のデバイスが妖怪の霊力のように使用されている。つまり、現代はあらゆる霊力がデバイスを通して送られるということです。まあ、そういうことにしておきましょう(笑)
── 「?」がますます増えてしまいましたが、改めて『さらざんまい』の見どころを教えてください。
見どころばっかりですけど、「言葉」に注目して欲しいですね。なんていえばいいのかな、キャラクターたちのセリフもそうだし、要所要所でバーンって出てくる言葉もそうです。たとえば、「欲望」とかね(笑)
── 劇中に出てくるシャッターの落書きなどでしょうか?
そうですね。劇中の背景にもいっぱい細工があるんです。なんかよくわかんないなあって思われるかもしれませんが、それに注目してもらえると、もっと違った意味でおもしろさが伝わるかと思います。
まあ、さっきお話しした仕込みってやつですね(笑)毎回の仕込みを楽しんでもらいながら、一稀、悠、燕太たち3人の少年が、いったいどこにたどり着くのかを観て欲しいと思っています。
『さらざんまい』ファンにメッセージをお願いします。
実はわたし、アニメキャラを演じたのは今回が初めてだったんです。大ファンだった幾原監督作品で声優デビューできて感激してますし、とてもやりがいのある役どころでしたから、楽しんで吾妻サラを演じることができました。『さらざんまい』は、つながりをテーマにしていますので、この作品を通じてみなさんとつながれたらうれしいです。
帝子ちゃんがいま話したように、この作品のテーマは「つながる」です。ぼくたちの日常が、「つながる」ことによってどう変化するのかをお楽しみに。この物語は単なるフィクションとしてだけではなく、ぼくたちの世界がこれからどうなるのかを、重ね合わせながら観ていただければより楽しみが増すのではないかと思っています。